祐天寺のギャラリーバーPaper Poolにて女性のみのグループ展「女史展」が12月8日〜25日まで開催されます。
DMの写真はこの写真展にも参加しているゆりちゃんこと写真家の 大村 祐里子氏を5年前に私が撮影したもの。
5年後にまたこうして発表することができるのを嬉しく思います。
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今回の私のテーマは「回路」
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2016年10月16日 自らの不注意により左瞼を負傷した。
利き目である左目は朧げに見え世界は薄紫色に染まっていた。
今見えているものを写真に写すことができたらいいのに。と言った私の言葉に写真をしてる人の言葉らしいねと友は言った。
瞼から額、その上の頭部にまで神経は断裂し皮膚感覚は麻痺している。
離れたものたちが再び元の場所に戻りつつある中で見えたもの。
その後の記録写真。
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在廊予定はまだ決まっていませんが毎週金曜日はスタッフとしてお店にいます。
◎ギャラリー営業日は木金土日、時間はご確認いただきますようよろしくお願いします。
美味しいお酒とおつまみを楽しみつつ女性13人の視点を是非ご高覧下さい。
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ウェブマガジン アパートメント のライターをしていたのは今からちょうど二年前の12月と1月。時のスピードは日々とても速く感じるのに 二年前のこの記事は遠い過去のような懐かしさ。
二年前のアパートメントでのコラムです。
BRONICAという真四角の写真が撮れるフィルムカメラで 父は 母と幼き頃の私を写していた。
古いアルバムには このカメラで写されたモノクロ写真が何枚も貼られている。
しばらくして父はこのカメラを写真好きの叔父へ譲り 何十年という時を経た。
七年前、父が亡くなった。
一周忌の時だったろうか、たまたまその叔父にフィルム写真を撮っていることを話すと 何十年も使っていないので写るかはわからないけれど、父から譲り受けたカメラがある、と。
幼き頃の私を写したそのカメラは、何十年という時を経て私の手に渡ることになった。
まわり道をして私の手元に戻ってきた、なんだかそんな風にも感じている。
写真というのは写した瞬間から過去のこととなる。
幼き頃のアルバムを眺めていると頭の片隅にあったのかさえも憶えていないような記憶が ぼんやりと浮かんでくる。
先日、映画監督の森崎東さんのドキュメンタリー番組を観た。
監督自ら認知症の病に立ち向かい記憶を辿りながら作品を作り上げていく。
その中で記憶は愛であるという言葉が何度も繰り返されていた。
写真として記録されたものが記憶として過去を蘇らせること。
色褪せた写真に、その時間その場所にいて、生きていたという証を感じながら 「記憶は愛である」という言葉が交差していた。